教育業界で働いて9年目という月日が経ちましたが、この業界には人を動かす手段として、「生徒のために」という魔法の言葉が存在しています。もちろん、教育業界だけではなく、仕事に対する価値観は多様であるため、「お金を稼ぐこと」だけではなく、「誰かの役に立ちたい」や「社会に貢献したい」といったような、さまざまな理由があって良いとは思います。しかし、この魔法の言葉は、ときに強制力を働かせることになったりと教育業界の労働環境を悪化させている要因にもなっています。そこで、今回は「生徒のために」という言葉を題材に、教育業界の労働環境を語ってみたいと思います。
まずは、教える先生という立場で考えていきましょう。よくある事例としては、生徒のためを考えたら「授業前後で生徒の質問対応を受けるべき」や「授業準備を入念にするべき」とありますが、そこに労働として対価が発生をしていれば、話は別になりますが、発生していないケースが多いです。そこで考えなければいけないのは、労働が発生していないのに、「生徒のために」向き合っている先生と向き合っていない先生と区別されてしまいます。もちろん、対価が発生しない場合は仕事をしなければいけないことはありませんので、その時間に対しては先生の自由として捉えるのが労働的な観点では正しいことになります。一方で、保護者はよりよい教育を受けたいという考え方をもっていますから、自分の子どもを成長させてくれる先生を求めます。結果がすぐに出にくい教育という商品だからこそ、面倒を見てくれるようなカタチにこだわる傾向が強くなり、このような実態をどのように捉えるかは難しい問題と言えるでしょう。ここで考えなければいけないのは、「生徒のために」という観点や顧客のニーズによって、先生は労働時間以外でも業務が発生をして、質を求められてしまっている現状にあることです。もちろん好きで働いている人はよいのですが、今は好きであってもライフスタイルが変わったときに継続することができるのかどうかも含めて問題として捉えるべきなのではないでしょうか。
次に考えていきたい事例として、運営をする社員という立場で考えていきましょう。具体的な業務内容は塾によってさまざまではありますが、仮に仕事をしない社員がいたことを仮定します。このときに、仕事をしない社員の仕事を引き受けざるを得ない状況になったときに、「生徒のために」という言葉で上司から依頼をされたり、「生徒のために」という自分の感情で他人の仕事を受けることもあるかもしれません。それは、果たして正しい使い方なのかどうかを考える必要があると思います。また、場合によっては、この言葉は悪魔の言葉にもなり得ることを認識しておく必要があるように思います。
このように事例を見てきましたが、実は今回このような内容を書いてみようと思ったのは、業務が多忙の中で残業時間も45時間越えが年間で4回(法律の関係で年間で6回までと決められている)になってしまい人事部に勧告を受けてしまっているのにも、「生徒のために」という言葉で仕事量が増えていく環境にあるからです。もちろん、教育業界は顧客が生徒である以上は、「生徒のために」という観点は大切ではありますが、業務を増やすことにもなるだけでなく終わりがない状態になってしまいます。また、令和の時代において、価値観が多様化していき、この言葉がどのくらい通用するのかは考えるべきことで、仕事がすべての時代は終わり、自分の時間や家庭を大切にしたい人だっています。つまり、この言葉は人によっては悪魔の言葉になり得ることを認識するべきですが、使用者が認識をせずに使ってしまっている人が多いのではないかと思っています。このように見ていくと、教育業界の労働環境はアップデートがされておらず、今後変わっていかないといけないことだと思います。このようなことを踏まえると、教育業界の労働環境を改善するためには、「生徒のために」という言葉の適切な使い方をすることが、早急に解決するべき問題だと言えるのかもしれません。