akshota0407の日記

自分自身が書きたいことや伝えたいことを書くブログです。

経費削減の先にあるものは?

当たり前のことではあるが、企業や会社が存続するためには、利益を出し続けることが求められる。利益を出すためには、大きく分けて「売上を伸ばす」と「経費削減」の2つが挙げられる。どちらも大切なことは事実であるが、経費削減には限界もあるだろう。今回のブログは「経費削減の先にあるものは?」を考えてみたいと思う。

私が異動した校舎は、まさに「経費削減」で利益を捻出しようとしている校舎である。もちろん、「経費削減」という観点は大切であり、不要な電気やエアコンを消すことは、節電として大切な取り組みであることは認める。しかし、校舎が空くまでの時間はエアコンは付けないし、自習室もかなり暑いときでないと、エアコンを付けない状況は、「経費削減」と言えるのだろうか。私は「必要経費」のように思います。その結果、自分自身も仕事に対するモチベーションも下がり、生徒に不利益が起こっていることに対して、問題があると思います。もしかしたら、目先の経費削減しか見ておらず、空調に関する評判や必要最低限の電気しかつけないことで校舎が暗く感じることで、募集に影響をしている可能性もあるかもしれません。他にも、他校舎にあるものがないことはよくあることで、授業を担当する先生は他校舎も出講をすることから、指摘されることもよくあります。その結果、先生のモチベーションも下がり、悪循環が続いているかもしれません。おそらく、この校舎は「必要経費」と「節約」を理解することが出来ていない状態になっているのでしょう。責任者には、異動前の校舎と比較をして、このようなことをお伝えしましたが、なかなか行動に移すことが出来ていないのが現状。果たして、こんな校舎に誰が働きたいと思い、誰が入塾をしたいと感じるのでしょうか。

このような話をしてきましたが、私の考える「経費削減の先にあるものは?」、生き残ることは出来ないと思います。短期的にはいいかもしれませんが、5年・10年の長期的に見ていけば、耐えることは出来ません。そんな中で、利益を出すためには、「売上を伸ばす」施策を考えるべきで投資をするべきです。しかし、残念ながらお金がないということで、このような投資も躊躇をしています。そのような話を受けて、私はこの校舎の将来性がないことを確信してしまいました。塾・予備校業界は、今まで以上に多様化しており、少子化の影響もある中で、どのように生き残っていくのか本当に大切であり、この校舎は会社にとっても不要なのかはっきりしてもらいたいものです。

適切に評価される入試とは?

今回は「2025年度以降の慶應義塾大学文学部入試」を題材に「適切に評価される入試」について考えていきたいと思います。簡単に現在の慶應義塾大学文学部の一般入試「英語」についてお伝えをしておくと、120分の試験時間で国立型の記述問題で毎年7~8題の出題で、辞書も2冊まで持ち込み可の特殊な入試です。しかし、2025年度以降の入試では、外国語の選択科目に「英語(外部試験利用)」の選択が可能になり、英検のスコアを外国語の得点に換算をするため、一般選抜の試験当日は「英語」の受験が免除になります。しかし、併願することは出来ず、高得点利用でもないので、出願する段階で、「個別試験で英語を受験するのか」・「英検の成績を利用するのか」を決める必要があります。このように見ると、2025年度以降の入試では大きく変わることが分かっていただけるでしょう。

さて、ここで問題になってくるのは、「英語(外部試験利用)」と本学独自試験(英語)で募集枠を区分けがされないので、どのように換算をしていくかが問題になります。ちなみに、「英語(外部試験利用)」の場合は、出願基準が設けられており、実用英語技能検定(英検)CSE 総合スコアが 2500 以上(受験級および合否結果は問わない)で出願することが出来るので、英検準1級合格で2304点なので、それ以上のスコアが求められているので、基準はかなり厳しく設定されていますが、本学独自試験とは出題形式は大きく異なるため、換算するのはとても難しいと思われます。そもそも、2つの異なるものを厳密に比較することには限界があります。そんな中で「平等で公正な入試」にするためには、どのようにしたらよいのでしょうか? みなさんはどのように考えますか。

私は個人的には、募集枠を別々に設けるのは1つの方法であるように思います。他にも、評価基準を明確にして、例えば英検準1級で何点扱いをすると公表して、受験者に選択をさせるのも方法かもしれません。それ以外にも、併願することを可能にするのも方法としては得策かもしれません。あるいは、本学独自試験を4技能型の出題にするのもいいかもしれません。さまざまな手段が思い浮かびますが、私はどのような形であり、適切に評価される入試の制度設計をすることが、大学には求められると思います。

そんな中で、慶應義塾大学・文学部は2023年3月23日にホームページ上に、「本学部での十分な検討を経て一般選抜に導入する外国語の新たな選択科目「英語(外部試験利用)」は、難易度において従来型の出題形式をとる「英語(独自試験)」との差異はありません。受験生のみなさんには、英語学習における自らの適性をよく見極めたうえで、適切な方式を選んで受験していただければよいと考えます。」と受験生に対して、公開しました。具体的にどんな基準で評価されるのかは明記されておらず、抽象的な表現で言いくるめています。もちろん、今後検討されて公表される可能性もありますが、個人的には受験生が適切な選択ができるように、具体的な基準となる点数を明確化して、適切に評価される入試である必要性はあるのではないかと思います。このような公表をしたことにも、何かしらの大学の意図はあるとは思われますが、よりよい方向に向かっていくことを願っています。今後の動きにも注目になるでしょう。

【参考文献】

2025年度入試以降・慶應義塾大学 - akshota0407の日記 (hatenablog.jp)

general2025_flet_language.pdf (keio.ac.jp)

自由度と共感してくれる人

人事異動の関係で、異動をして1ヵ月が経ちました。もう耐えられないかもしれない。異動前の校舎に比べて、通勤時間も片道1時間は減っていたり、異動後の校舎の方が仕事量は3分の1程度に減っているのに、異動前の校舎に戻りたい気持ちの方が高まっている状態が続いている。もちろん、自分で選択ができるわけではないので、社会人として与えられたところで頑張らないといけないことは分かっているが、私の仕事に対する原動力が失いかけている。なぜそんな状態にまで陥ってしまったのかを分析してみたいと思います。

なぜこんな状態になってしまったのか、それは自由度や共感をしてくれる人がいないということは大きな影響をしている。私と教室長が異動をしてきたが、昨年度までいた社員が、以前に決めた校舎独自のやり方やルールにこだわり、教室長にも逆らうときがあったりする。もちろん、この1ヵ月は、昨年度までいた社員に従ってきたり、順応することも大切だと思う。しかし、私は「こう思う」と言ったとしても、「決まっている」からと強気な態度で対応されることもあり、その結果、何を言っても分からない人に言ったところで自分が疲れるだけなので、何も言わない方がストレスにならないし、深入りしないことが大切であるような気がするのは自分だけだろうか。特に教室長がいないときには、そのような状態が悪化しているだろう。比較をしてもよくないかもしれないが、異動前の校舎では、2年目でもこんなに発言権も大きくなり、「校舎をこのようにしたい」を先輩と話し合うことが出来て、自由度もあった。そして、これからというときに異動を言い渡されて、自由度もない異動後の校舎によって奪われた。その代償は大きいのかもしれません。

他にも、共感をしてくれる人がいないことも大きく影響をしています。私は大規模校舎から小規模校舎に異動させられて、特殊な異動の仕方をさせられた。私とは逆の異動の仕方が主流であることから、大規模校舎の大変さを共感してくれる人も残念ながらいない。すべてを理解して欲しいとは思わないし、話を聞いてくれて共感をしてくれるだけでもいいが理解はしてくれない。相手から要求だけ言われて、話を聞き入れない。そんな校舎で働きたいと思うだろうか。さて、話は脱線しますが、なぜこのような異動が起こったのかはさまざまな理由が考えられますが、おそらく大きな理由は「異動後の校舎に退職者と年次が近く校舎から近いこと」が理由で充てられた。誰かを恨むという訳ではないが、人事部もそんなことを考えずに決めたとすれば、責任はあるのかもしれません。

そんなこともあり、仕事に対するモチベーションは下がっている。このことを通して、私が仕事で大切にしていることは、「自由度」と「共感してくれる人」の存在なのかもしれません。上司がどんな人になるか分からないから、結局はどこの会社に入ったとしても運かもしれません。しかし、通勤時間や残業時間が減っているからこそ、今後の将来やキャリアを考えるいい時期に突入しているのかもしれません。