akshota0407の日記

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オープン模試から予備校分析

大学受験に携わっている方であれば、8月から秋にかけて行われる大学別のオープン模試を知っているだろう。知らない方向けに、簡単に説明をしておくと、本番と同一形式の学力を測るプレテストのことです。今回は予備校にとって、要となるオープン模試の中から、国公立大学最上位の「東大入試実践模試(河合塾は東大オープン、東進は東大オープン模試)」・私立大学最上位の「早大オープン・慶大オープン(河合塾早慶レベル模試)」に着目してお伝えしていきたいと思います。

まずは「東大」で見ていくと、駿台河合塾ともに年に2回、東進ハイスクールでは年に4回実施されています。予備校業界でも「東大の合格者」は力を入れたいということもあり、数多く実施されているのが特徴的でしょう。しかし、駿台河合塾東進ハイスクールそれぞれで実施されていますが、基本的に出題方法は入試に準拠をしておりますが、実施日数に大きな違いがあります。

東大の2次試験は2日間に渡って行われ、1日目に国語と数学、2日目に英語と選択科目となっています。しかし、会場の都合や経費削減などもあるとは思われますが、オープン模試では1日で実施することが多いです。ちなみにここに挙げている、駿台河合塾・東進が実施する東大向けの模試10回中6回は、1日実施となっています。(ちなみに代ゼミが実施する東大入試プレは、会場によって1日実施と2日実施が異なります)さらに、河合塾の第2回東大オープンは昨年度までは2日間日程でしたが、今年度から1日実施になっております。

このような状況になっている中でも、駿台の「東大入試実践模試」は2日間実施であり、冬期・直前講習を見ても「お茶の水校」を中心に、東大講座が他予備校にはたくさんの講座が設定されています。そのことからも、東大受験者の需要が駿台は大きいのでしょう。そんなこともあり、東大入試実践模試は2日間実施が今後も続いていくのかもしれません。私の勝手なイメージなのかもしれませんが、国公立大は駿台のイメージが強い印象があるのは、このように東大にチカラを入れているのかもしれません。

次に「早慶大」で見ていくと、河合塾早慶レベル模試(10月実施)、駿台代ゼミは共催で「早大入試プレ」(10月実施)・「慶大入試プレ」(11月実施)、東進は早慶上理・難関国公立大模試を年5回実施しています。東進の模試は名称に早慶が含まれていますが、どちらかといえばトップレベル層の模試で、オープン模試とはあまり言えないでしょう。なので実際には、河合塾駿台代ゼミが共催でやっている模試が、実質的にはオープン模試と言えるでしょう。

東大オープンとは異なり、早慶のオープン模試は、実際の入試と同様に1日で行われますが、早慶は学部ごとに出題形式が異なるため、どこまで模試で対応をさせていくのかは難しい課題でしょう。また、国公立大学とは異なり、他学部と複数併願する方が多いため、学部ごとの同一形式にすることは、異なる問題を解いているため、模試の判定を正確に出すことは難しくなるでしょう。つまり、どちらにもメリットとデメリットが存在するということになります。ちなみに、学部ごとまで完全に準拠を徹底しているのが「早大入試プレ」・「慶大入試プレ」で、早慶の代表的な問題を共通問題で解かせて合否判定を出すのが「早慶大レベル模試」(小論文は準拠)なので、同じオープン模試でも大きく異なっているように思われます。

また実施する側から考えれば、少子化が進む中で受験者数が減り、早慶の出願者もそれに伴い受験者数は減り、オープン模試を受験する人も減ります。このように考えると、さまざまな問題を出題すれば経費も重なります。どのようにすれば、受験者数を確保して経費を削減できるのかは、予備校が模試で生き残るために必要なことになるでしょう。ちなみに、受験者数確保の取り組みとして、昨年度から駿台代ゼミが「早大入試プレ」・「慶大入試プレ」の共催を始めました。また昨年度はYOUTUBE駿台講師と代ゼミ講師のコラボ企画は、予備校業界の歴史から見ても、なかなか見られないことでしょう。

このように「東大」と「早慶大」のオープン模試について分析をしてみました。子どもの数が減る中で、オープン模試の運営もなかなか厳しい状況になっていくでしょう。そんな状況でも、受験生にとってみれば大切なオープン模試であり、予備校がもっている「問題作成能力」・「情報力」・「分析力」を活かせる場でもあり、両者にとってオープン模試は大切な存在であるでしょう。今後の課題として、オープン模試をどのように残していくのかは、予備校の課題ではあるでしょう。

[関連リンク]
【オンラインイベント】代ゼミ×駿台の人気講師に聞く!魔の10月を乗り越えるための受験力向上講座 - YouTube

教育とハラスメント

教育業界や学校教育に携わっていると、何かしら悪い行動をした生徒に対して、指導することが求められる。顧客に対して、指導をするのは業界の一種の特殊性をあり、他業界では見られないことだと思います。このような指導は、特に個人の問題で収まらずに、集団に対する影響が大きいときには、なおさら必要になるだろうし、他の保護者からクレームが入るかもしれません。そんなことになれば、問題は大きくなっていくだろう。一方で、ハラスメントや行き過ぎた指導は、逆に訴えられる可能性もあり、特にハラスメントは受け手がどのように感じるかで左右されてしまいます。以上のことからも、指導をするときには、ハラスメントには注意が必要です。このようなことを踏まえた上で、今回は「集団授業を受けているある生徒が、授業中に寝てしまい、授業中にみんなの前で先生が注意をした」という事例で考えていきたいと思います。

この内容だけで判断をすれば、「授業中に生徒が寝てしまうのが悪い」という理由で、おそらく「指導」として捉える方が多いのではないでしょうか。もちろん、この事例は曖昧すぎて、何とも言えないと思う方もいるかもしれません。確かに、「集団授業は何人ぐらいの規模か?」や「先生がどのように注意をしたのか?」や「生徒の特性」などさまざまな詳細は提示していません。なぜならば、ハラスメントにはここからがアウトという線引きが具体的に明示されていないからこそ、さまざまな観点から考える必要があるからです。つまり、自分では大丈夫と思っていても、受け手がハラスメントと感じてしまえば、ハラスメントと定義されてしまうのです。

さて、この事例には続きがあります。翌日から、先生が注意をしたことで生徒が「トラウマで不眠症になり、授業に出ることが出来なくなった」とします。そのようなことが起きたので、保護者は、校舎に電話をかけてハラスメントで訴えると言ってきたとしましょう。このようになれば、結果論からすれば、先生が言い過ぎた部分があると結論付けられてしまうでしょう。先生は教育をするために指導をしたことが大きな問題になることがあるのです。もちろん、ハラスメントを容認することはありませんが、社会がハラスメントに関して厳しくなったことで、教育者が注意をするときには、最新の注意を払わないといけない状態であり、自分を守るためにも必要でしょう。しかし、過度な状態では、面倒なことに巻き込まれたくないということで指導をしない教育者が増え、生徒指導は弱体化していってしまうのかもしれません。

あなたならどうしますか?

早速ではありますが、みなさんに質問です。『あなたは高校生に予備校で集団授業をしています。あなたはたまたま授業中に「スマートフォーンをいじっている生徒」を1人見つけたとします。そのときに、何人以下の授業であれば、授業を止めて、あなたは注意をしますか。それとも人数に関係なく注意をしませんか。』という問いです。この質問で重要になってくるのは、集団授業であるため、ひとりのために、注意をすることで、授業がストップしたり、授業の雰囲気を害することで、全体に影響を及ぼすリスクがあるということです。一方で、他人に迷惑をかけていないのだから、無視するという考え方もあるでしょう。みなさんなら、どうしますか?

ここではあくまでも私の考えは、「1クラスが20名程度であれば注意をしますが、それ以上では注意をしません」。このような考え方をする理由には、学校教育との差別化があります。もちろん、学校によって1クラスの人数は異なりますが、30名程度であることが多く、この人数を超えない20名程度であれば、塾・予備校は学校と差別化しているものとして、「個」を見ていることを伝えるべきだと思うので、授業の様子や生徒ひとりひとりと向き合う必要が出てくるでしょう。しかし、学校と同じ規模の人数やそれ以上になれば、「個」よりも「集団」を意識して授業をする必要があるため、全体のモチベーションを上げることや分かりやすさが追求される授業が求められることになるでしょう。だからこそ、言い方は悪いかもしれませんが、1人に構っている時間はないので、このようなことが起きたときに無視するという判断をする人もいるでしょう。

この問題では、教室による生徒数を限定して考えていますが、もちろん自分の中にポリシーがある人や正義感で注意をする人もいるでしょう。冒頭でもお伝えをしましたが、何が正しくて間違っているのかをここで議論をするつもりはありませんが、果たしてどのような意見が多いでしょうか?

この事例を通して、お話をしたいことは、塾・予備校業界は少子化の影響もあり、生徒数の減少は今後避けられません。そんな状況の中で、従来のような授業方法から変える必要があるのではないでしょうか。一方的に授業をするのではなく、生徒に寄り添ったり、質問対応をしたり、集団授業ではあるけれでも個も大切にする雰囲気づくりが求められてくるのかもしれません。そのような塾・予備校が残っていくのかもしれません。