akshota0407の日記

自分自身が書きたいことや伝えたいことを書くブログです。

教育とハラスメント

教育業界や学校教育に携わっていると、何かしら悪い行動をした生徒に対して、指導することが求められる。顧客に対して、指導をするのは業界の一種の特殊性をあり、他業界では見られないことだと思います。このような指導は、特に個人の問題で収まらずに、集団に対する影響が大きいときには、なおさら必要になるだろうし、他の保護者からクレームが入るかもしれません。そんなことになれば、問題は大きくなっていくだろう。一方で、ハラスメントや行き過ぎた指導は、逆に訴えられる可能性もあり、特にハラスメントは受け手がどのように感じるかで左右されてしまいます。以上のことからも、指導をするときには、ハラスメントには注意が必要です。このようなことを踏まえた上で、今回は「集団授業を受けているある生徒が、授業中に寝てしまい、授業中にみんなの前で先生が注意をした」という事例で考えていきたいと思います。

この内容だけで判断をすれば、「授業中に生徒が寝てしまうのが悪い」という理由で、おそらく「指導」として捉える方が多いのではないでしょうか。もちろん、この事例は曖昧すぎて、何とも言えないと思う方もいるかもしれません。確かに、「集団授業は何人ぐらいの規模か?」や「先生がどのように注意をしたのか?」や「生徒の特性」などさまざまな詳細は提示していません。なぜならば、ハラスメントにはここからがアウトという線引きが具体的に明示されていないからこそ、さまざまな観点から考える必要があるからです。つまり、自分では大丈夫と思っていても、受け手がハラスメントと感じてしまえば、ハラスメントと定義されてしまうのです。

さて、この事例には続きがあります。翌日から、先生が注意をしたことで生徒が「トラウマで不眠症になり、授業に出ることが出来なくなった」とします。そのようなことが起きたので、保護者は、校舎に電話をかけてハラスメントで訴えると言ってきたとしましょう。このようになれば、結果論からすれば、先生が言い過ぎた部分があると結論付けられてしまうでしょう。先生は教育をするために指導をしたことが大きな問題になることがあるのです。もちろん、ハラスメントを容認することはありませんが、社会がハラスメントに関して厳しくなったことで、教育者が注意をするときには、最新の注意を払わないといけない状態であり、自分を守るためにも必要でしょう。しかし、過度な状態では、面倒なことに巻き込まれたくないということで指導をしない教育者が増え、生徒指導は弱体化していってしまうのかもしれません。