akshota0407の日記

自分自身が書きたいことや伝えたいことを書くブログです。

計画を修正する力

夏休みは受験の天王山と言われるほど、受験生にとって夏休みは重要なことは間違えないだろう。その中でも、大学受験を控える現役生にとっては、夏休みの勉強量は受験結果に左右されることは、間違えないだろう。その理由の1つに、9月からは、学校も始まり、受験勉強以外にも、学校行事や定期テストに向けた勉強も必要になり、受験勉強の時間が物理的に確保できなくなるからである。さらに、10月以降は過去問演習や併願校を決めたりもしなければいけなくなり、受験勉強以外にかかる時間も多くなる。また、昨年度から多くの大学では、出願するときに「主体的に学んだ経験」などを記述で書かせる項目を設けている大学もある。このように考えていくと、夏休みの勉強でいかに知識を定着させることが大切なのは分かるだろう。しかし、夏休みも約半分ぐらい終わる、まさにこの時期になると、勉強計画が順調に進んでいない人が多いように毎年感じています。その理由の1つに、計画を修正する力が欠如しているように思います。今回は、計画の修正力について書いてみようと思います。

勉強でも仕事も同じですが、ある程度計画を立て、いつまでに終わらせて、どのくらい時間がかかるのかを考えながら計画を立てることは重要です。さらに、この仕事は優先度が低いので、今週中までにやる仕事、一方で緊急性が高いので、今日必ずやる仕事と決めたりしながら、仕事をする必要があります。当然、すべてが計画通り上手くいくわけではありませんが、計画通りにいかないときには、何かの仕事にかける時間を減らしたり、残業をしたりして、時間を漏出する必要があります。受験生にも、夏休みの勉強計画の立て方として、同じような手法で話をしていき、夏休みが終わったときのゴール設定を一緒に決めて、そのためには1週間単位で、どのくらい勉強をしなければいけないのかを明示していきます。そして、計画が上手くいかないときもあるし、夏期講習を通してやるべきことが新たに出てくることもあるので、そのときは補いながら自学自習に取り入れるように話をしています。しかし、多くの受験生は、上手く計画が進んでおらず、例えば、英単語で覚えていない単語が夏休みの始まり時点で1500語あり、1週間単位でどのように進めていくのかを一緒に決めたのにも関わらず、夏休みが半分終わるのにまだ500語しか覚えていない状況であったりします。このときに、計画が上手くいかなった原因を考えたり、修正しなければいけないという疑問も抱くことなく、このまま夏休みの勉強を進もうとしていました。このような人はおそらく中途半端に何事も終わり、夏休みのゴールに達成することは出来ないだろう。このように考えると、勉強において大切なのは、計画を修正する力なのかもしれません。ちなみに、私が受験生が勉強を効率よく進めるのに必要なもう1つの力は「分析力」と思いますが、この話はまた後日掲載をしたいと思います。

このように、計画を立てることはもちろん大切ですが、計画通りいかないときにどのように修正していくかの方が大切だと思います。もちろん、悩んだときには、学校や塾の先生に問い合わせることで、解決のアプローチを提示してくれるでしょう。しかし、そこにも限界があり、大人になり、仕事をするようになれば、自分で解決する力を養わなければなりません。そのためには、計画を修正する力こそ、学ぶべき内容なのかもしれません。

入試突破のスーパー・トライアングル

変化が激しい時代と言われる世の中で、大切なことは何だろうか。おそらく、何事にも興味・関心をもつことで、後悔しない選択を生み出したり、損をせずに生きていけることが大切なのかもしれない。言い換えれば、視野が狭い状態から脱出することが必要なのかもしれない。しかし、多くの学生はさまざまな影響を通して、入試で合格することが勉強のすべてと思ってしまっているだろう。(実際に今までの自分はそうだった。)さらに、受験勉強では、教科の本質が分からないまま、公式や方法論に当てはめて問題を解いたりすることもあるし、現象や教養を深めながら勉強をすることは少ないだろう。その一方で、いつもの受験勉強とは違った視点で、授業を展開されるのが、「入試突破のスーパー・トライアングル」という講座である。

この講座は、駿台予備校の人気講師である、英語科講師大島先生、数学科講師雲幸一郎先生、現代文科講師霜先生の3人で行われる授業である。授業内でも3人の先生が言っていたことだが、「この授業はあくまでも、入試本番に直結するとは限らないが、いつか役に立つことがあるかもしれない」という授業であり、他の講座や塾・予備校のように、入試に直結することを学ぶ授業でないのが、異質な授業である。この授業のコンセプトは、さまざまな見方や考え方を学び、教科横断型の授業形態であることが目的である。今年の授業における代表的な内容だけ挙げておくと、「教育改革と産業革命の関係性」、「これから求めれる資質・能力」、「金利と指数関数」、「論理的に説明をするということは?」、「つるかめ算がやっていること」、「動物の家畜化と影響」といった題材で50分×3コマの授業が行われました。それぞれの講師が、自分のパートを話しているときに、別の先生がツッコミを入れながら授業が行われて、他にはない授業形態になっています。私もこの授業は、3年連続で参加させていただいていますが、毎回内容も変わりますので、テキストが届いたときから、楽しみにさせてもらっています。

このような授業は、「教科横断型の授業」であり、文部科学省は高大接続改革で取り上げている理想的な授業形態である。しかし、専門科目外のことまで知っておく必要があり、学校の先生には期待が出来ないし、予備校講師でさえも一部の限られた先生しかできないことでしょう。大学入試改革により、昨年度から「早稲田大学政治経済学部」を中心に、総合問題の出題が始まっている大学もあります。計画だけが前に行き、行動が伴われていない状態になっており、このような大学の対策が出来るのは、学校でなければ塾・予備校となっているのかもしれません。その原因となっているのは、大人の知的好奇心の欠如が問題になっているのかもしれません。だからこそ、子どもが学校や受験を通して勉強をしている以上に、大人はさまざまな勉強をしていくべきなのでしょう。最近では、社会人が大学に入りなおすことも出来たり、オンライン上や本を通して、沢山のことが学べる時代だからこそ、本当に大切なのは「知的好奇心」をくすぐる機会に出会うことなのかもしれません。

 

嘘から始まるストーリー

誰だって、嘘のことを言ったり、起こった事実を盛るといった経験は多かれ少なかれあるだろう。他にも、自分が思っていないことを言って、相手のご機嫌を取るようなことだってあるだろう。私も実際にそういった経験はしたことがあるし、そうやって自分の評価を上げるのも上手に生きていくためには必要なことも事実だろう。そんなことを考えるようになったエピソードを今回は書いてみようと思う。そのエピソードは、就活が終わった後輩と食事に行って、就活について話をしたときに感じたことであった。

就職活動というのは、「今までの自分の経験や能力」や「この会社に入りたいという熱意」をアピールする場であることは間違えないだろう。そのような場では、バレない程度の嘘を交えて話をしたり、盛ったりすることは、程度には差があるにしても、誰だって、このような行為はしてしまうだろう。しかし、自分がやっていないことに対して、嘘の事実を作ってしまい、面接官から深堀りされて失敗することだってあるかもしれないと考えれば、大胆な嘘をつくことが出来ないため、自分の経験に対して盛ることが安全策ではないかと私は思っていました。しかし、そんな中で、後輩は面接の場で「留学に行った」という大胆な嘘を付いたそうです。さらに、深堀りされることを予想して、留学に行った先輩から話を聞いて、面接で話をする内容も決めていました。私から見れば、ここまで言うのは自分の中では、反則のように思っていたし、もちろんこのような発想力はありませんでした。しかし、このように人を利用していく姿勢というのは、ある意味で尊敬できる点でもあると感じるように思いました。

社会に出れば、「部下の実績を上司が自分の実績にすること」や「嫌な仕事を部下に押し付ける」など、理不尽なことだらけだというのは事実だと思います。そんな社会にいる自分にとっては、時に嘘を付いたり盛ったりすることで、相手のご機嫌を取り、人を上手く操る能力を彼から見習うべきなのかもしれません。