akshota0407の日記

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教育と過度な競争

今回はたびたび議論になる「教育と競争」を題材にブログを書いてみようと思います。塾業界で働く人にとっては、少しでもよい志望校に合格をさせることが本人のためであり、会社のためであると考えることが多いだろうし、競争があるからこそ成り立っている業界であることは間違えないだろう。一方で、学校教育という観点で見れば、小学生で順位を付けない徒競走があったり、石川県では学力テストで成績公表を中止する動きもあります。このように「教育と競争」は、過度な競争は否定的な意見もある中で、受験や社会人になれば他人と競争することは生まれることから、過度に気にする必要はないのではと肯定的な意見をもつ方もいるでしょう。今回は「教育と過度な競争」に関して、3つの観点からそれぞれのメリットとデメリットを述べていきたいと思います。

1つ目は、「子どものモチベーション」という観点で議論をしていきましょう。まずは具体的な事例で考えると、子どもがテストの結果を親に見せたときを想定しましょう。多くの人が、自分の子どもと平均点を比較をして考えて、どのくらい出来ているかを判断することで、出来ていると判断すれば、褒めたりするでしょう。つまり、このことは到達度評価ではなく相対評価で物事を考えていることになります。その結果、大人が相対評価で判断をすることから、子どもが同じような思考になり、競争を生んでいるように思います。もちろん、競争の影響によって、他人に負けないように頑張るというモチベーションにつながれば、教育と競争はメリットにつながるでしょう。しかし、他人と比較をすることで、自分があまりにも出来ていないことが数値化されれば、諦めてしまうこと場合もあるでしょう。このような場合には、何が出来ているのかの内面を見てあげることが重要になり、競争が逆効果になることもあることは考慮に入れないといけないことになるでしょう。

2つ目は、「子どもの個性」という観点で議論をしていきましょう。勉強が出来ることも子どもの個性であり、評価されるべきことであるという考え方もあるでしょう。そのときには、勉強の場合は、数値化されることで評価をされるため、競争が生まれているという見方も出来ます。もちろん、勉強以外に関しても、「リーダーシップがある」や「足が早い」などのさまざまな観点で評価をされる必要があり、子どもたちそれぞれの個性をお互いに認め合うことが大切になるでしょう。過度な競争まではいかなくても、個性を評価するためには、競争も一定線までは必要という見方も出来るでしょう。

3つ目は、「社会と競争」という観点で議論をしていきましょう。AbemaTVでも紹介がありますが、社会に出たら競争は避けては通れない道であり、学校教育や受験のように必ずしも数値化されていない状況で競争をすることになることも理解をしなければなりません。さらに、就職活動では学歴による選抜を一定線までは行われていることは、否定をせざるを得ない実態でしょう。また学歴以外でも、能力以外の外見や親のコネなどの自分にどうすることも出来ない観点で競争が生まれいることもあるでしょう。社会に出ていく中では、競争をなくすことは出来ないことを考えると、早い段階から競争を経験していくことは教育として重要であるという見方も出来るでしょう。

今回は3つの観点でお話をしましたが、自分が競争に対しては一定線までは必要であるという考えをもっているので、競争に対して賛成の立場で意見を述べてきた部分も多かったと思います。過度な競争を幼少期に行うことは否定的ですが、小学校の高学年頃からは、他人と比べた自分の特性を知ることで自己理解につながるため、競争は必要となってくるでしょう。このように考え売ろ、教育と競争は「目的に合わせて時期」を判断することが大切になってくるでしょう。また、競争は他人と比較をして行われるものであるため、他人と比べて自分の欠点を知って終わりではなく、「そこから自分の強み」や「どのように行動をしていくのか」などの自己を見つめ直すことが何よりも重要でしょう。そのための教育を施すことが「教育と競争」をマッチングするために必要なことだと考えています。

【参考文献】

【教育と競争】学力テストで成績公表を中止?「過度な競争に繋がる」教育のあり方を考える|アベプラ (youtube.com)

ダメ親の教育「先に手を貸す」「宿題の促し」「周りに合わせる」「比較する」。あなたは大丈夫?"我が子をつぶす7つの行為"【高濱正伸×大空幸星 加藤浩次】 - YouTube