akshota0407の日記

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予備校文化(人文系)を哲学する

早速ではありますが、みなさんは「予備校」という言葉を聞いて思い描くものは何でしょうか。考えている人の年齢によって大きく変わるだろうし、20代の私がイメージする予備校は、人気講師の授業は200人教室が締切になり、悪い言い方をすれば「宗教的な」要素もありながら、この先生の授業を1年間受けてモチベーションを高めながら、頑張りたいと思う講師についていくような予備校でした。おそらく、現在の40代から50代が経験した予備校とも異なるでしょう。予備校が抱えるイメージが異なる中で、現在の考える予備校も大きく異なり、以前の三大予備校(代ゼミ河合塾駿台)から四大予備校(東進・河合塾駿台・武田塾)と変容をしてきている。ここで注目をしたいのは、四大予備校には、映像授業を中心とした「東進」や授業をしない「武田塾」が含まれていることにも注目をするべきことである。これは、実際の予備校の定義とは異なり、社会のニーズや変化が予備校に起こっていることが言えるだろう。さらに、少子化の影響は予備校に活気が消えつつ状況にもなり、予備校文化は消滅の危機にも陥っているかもしれません。

そんな中で、今回は2024年5月3日ゲンロンが主催した「予備校文化(人文系)を「哲学」する」の講演会を参考にしながら、今後の予備校文化を考察していきたいと思います(動画は5月に視聴をしましたが、仕事が忙しかったこともありブログが更新できなかったので、再度見返しをしながら、内容をブログにまとめています)。なお、11月3日まではシラスで映像配信をしていますので、興味がある方はぜひご視聴ください。(入不二基義×大島保彦×霜栄 司会=斎藤哲也 予備校文化(人文系)を「哲学」する @irifuji @saitoshokai #ゲンロン240503 | ゲンロン完全中継チャンネル | シラス (shirasu.io)

簡単にこの講演会の講演者を紹介しておくと、「入不二基義先生(駿台予備校英語科講師、青山学院大学教育人間科学部心理学科教授)、大島保彦先生(駿台英語科講師)、霜栄先生(駿台現代文講師)」の3名が登場しています。この3人の共通点は、33年前の1992年に出版された「大学デビューのための哲学」を執筆されており、その当時の話をしていきながら、過去と現在の予備校を比較しながら、予備校文化について語り合いながら講演が進んでいきました。また、講演会中盤では「ミニレクチャー」も行われて、予備校の授業を放出されるような内容で、詳細はぜひ動画を確認してみてください。

さて、本題のこの講演会のテーマである「予備校文化」について語る場面では、「定義することは難しいが、高校や大学とは異なり、予備校で生み出されるような独自の思想や文化を醸し出しているもの」であると大島先生は結論づけていました。一方で、霜先生は、予備校は過去と現在では大きく変化をしており、昔の予備校では「高校の教師から見れば「教育の敵、予備校」、大学から見れば「学問の敵、予備校」といった異質な存在であったが、現在は高校教員対象の教育セミナーを実施することや大学が予備校で説明会を実施するなどの協働する動きが強まっていることを述べていました。また、昔の予備校との違いに関しては、大島先生は「選択肢を読まなくても答えが分かるような小手先のテクニックを教えるような異質な空間から変わってきている」と述べていました。このように考えていくと、時代やニーズの変化に対応をすることから、予備校は独自性の空間が徐々に薄れてきていることが言えるのでしょう。また、別の観点から考えると、入不二先生は「予備校文化を考える上では、河合文化研究所が2023年度で終了したことにより、予備校文化を終了したと考えるのが妥当である」と述べていました。

このように考えると、3人が共通している意見としては、「昔と予備校は変わってきていること」は述べています。おそらく1つの要因としては、業界全体の活気がなくなり、予備校は合理的になった結果、リスクを回避することや挑戦することがなくなり、リノベーションは起こりにくくなっていることも1つの要因と霜先生は考えていました。実際に予備校のパンフレットにも講師の写真が消えており、講師を売りにする傾向は薄れてきています(映像授業の塾が増えていることで、差別化が出来なくなってきていることも要因かもしれませんが)。他にも、今は駿台代ゼミの一部に限られていますが、予備校らしさの象徴と言えるのが「オリジナル講座」であり、担当講師が授業だけでなくテキスト監修まで行うため、担当講師の色がかなり出るような講座でした。しかし、このような講座が減っていることには、予備校側の経費削減的な要素や業務の効率化が要因と考えられますが、資金的な余裕のなさが予備校文化が薄れている要因でもあるのでしょう。他にも、予備校は整理整頓されている外部(学校やサテライン予備校など)に含まれることで、独自の文化がなくなってきている要因ではないかと私は考えています。

講演会の最後では、予備校文化の将来性について考察する場面がありました。そこで、入不二先生は、「かつての予備校が大勢の生徒が教室がいるような活気はなくなり、つながりがある関係性から生み出された、講師のスター性や予備校が醸し出すような雰囲気は無くなっている」と述べています。さらに、「情報化社会の変化により、ベネッセやリクルートの参入は、よりよい教育を生み出す可能性があるとともに、データ化されることの脅威や予備校が変化しなければならない背景にもなっている」と霜先生は述べていました。このような話を聞いて、予備校が生き残っていくために、時代とともに変化をしていくことが求められていることは間違えないでしょう。また、現在の社会では「コスパ」や「タイパ」を求める志向が強く、そのことを踏まえると、個に焦点を当てた教育(自分の出来なかった問題や分からないところだけを聞けるような「映像授業」の有意性)となっており、河合塾駿台のような集団授業を前提として予備校は、自分が欲しいものをカスタマイズすることは難しいことも時代と逆行をしているのかもしれません。また、その究極的な選択は、必要なところを最短ルートで勉強の管理をしてくれる武田塾は受験生のニーズを獲得している背景なのかもしれません。そんな中で、予備校が生き残るためには、どのように「変化」をしていくかが鍵となっているのは間違えないでしょう。

【参考文献】

予備校とはどのような場所か──入不二基義×大島保彦×霜栄(司会=斎藤哲也)「予備校文化(人文系)を「哲学」する」イベントレポート | webゲンロン | 考えるを育てる (webgenron.com)

入不二基義×大島保彦×霜栄 司会=斎藤哲也 予備校文化(人文系)を「哲学」する @irifuji @saitoshokai #ゲンロン240503 | ゲンロン完全中継チャンネル | シラス (shirasu.io)