昨日のことですが、最後の授業と退職届を提出して、4年間働いていた塾講師のアルバイト先を退職しました。この4年間働いたことで感じたことを今回は書いてみたいと思います。
アルバイトを始めて、1・2年目は中学生のグループ指導を中心に、小学生と高校生を一部担当しました。その後、3・4年目は高校生の個別指導を中心に授業をさせてもらいました。1・2年目の所属校舎は上下関係が根強い校舎で、3・4年目の所属校舎はフラットな校舎を目指した社員の校舎で働きました。教える対象も違うだけでなく、社員の方向性も異なる校舎で働いて、いろいろな人と働くことが出来て、環境面でも勉強をさせてもらった部分が多いように感じています。
具体的には、1~2年目は上下社会の中では、授業を担当できるかどうかは、先輩からの評価によって決まるものでした。一方で、先輩は後輩の模擬授業を見てくれたり、さまざまな教務のことを教えてくれることもあったので、自分の大きな成長にもつながりました。しかし、後輩が掃除をしたり、日曜日の定期テスト対策会や模試監督なども行い、結果として休日が少なくなってしまったのも事実ではありました。でもそこには、生徒のために校舎が1つになって指導をしていくという環境面は整っていたように思います。1年目の最初の頃は、中高生の個別指導を中心に授業を行っていました。その後、9月から最初の集団指導を担当して、中2 1組 数学と中1 2組英語を担当しました。この2つのクラスは両極端なクラスで、中2 1組 数学は勉強の意欲がそこそこあるクラスで、中1 2組 英語は勉強の意欲は全くないクラスでした。中1 2組のクラスは「授業中に話を聞いてもらえなかったりして」自分が担当する意味があるのかや辞めたいという気持ちになることもありました。そこには、塾講師の仕事は勉強を教えることだけであると感じていたからかもしれません。先輩からは、実際には勉強を教えることだけが仕事ではないことを教えられたり、他にも教務力の面でも向上させられました。
そして、2年目になると、代講やレギュラーで他校舎で授業をすることになりました。代講では黒板の校舎であった所沢校で中3社会を担当して、生徒が30名近くいたのは今でも最多記録になっています。確か、この日はあまり体調がよくなかったけど、無理して授業をした記憶があります。次の日から、体調不良になって、全ての授業を代講をお願いしてしまって、自教室にも迷惑をかけてしまったことも覚えています。さらに、日曜日の他校舎授業でも授業を担当させてもらい、校舎を代表して授業する機会も多くなったり、別の校舎のプロ授業を見て、多くのことを学んだ1年でもありました。また、この年には、1年目で担当したクラスの持ち上がりとして、受験学年を初めて担当しました。受験学年は、入試問題を解かなければいけなかったり、自宅勉強管理など大変なこともあったけど、生徒が合格する姿を見たときや「ありがとう」の感謝の気持ちを伝えてくれたことは、今まで頑張ってきてよかったなと思ったりし、来年もこの仕事を続けたいと思えるようになりました。このときから、自分がこんなに仕事を頑張れたのは、生徒による力が大きかったように気づかされました。
2年目になって変わったことがもう1つあります。それは、校舎運営にも少しずつ携わることになったことです。保護者面談や保護者会でお話をする機会があり、当時はアルバイトでここまでさせるのかは疑問に思いましたが、今ではいい経験になっています。保護者の意向に沿うことがいかに大切なのかは、信頼関係を構築したり、どのようなことを求めているかは保護者によって違うことも実感できました。
そして3年目になり、今まで個別指導で高校生を担当していましたが、大学受験というフィールドに特化したいということで、高等部に移動をしました。この年はとにかくたくさんの授業をやった記憶があります。夏期講習や冬期講習は80分×7コマで、9:30から授業を始まり、21:30まで授業をする日がほとんどでした。冬期講習のときには、夢で授業をしていることもあったりと、本当に授業ざんまいの1年でした。この校舎では、プライベートでもご飯に行くような後輩が出来たりと、人間関係に恵まれた校舎でもありました。(そういえば、誕生日も授業をした記憶があるな...)
最後に4年目は、バイトリーダという存在であるチーフになりました。授業だけではなく、校舎運営にも携わることになりました。開閉室・時間割作成・生徒面談・受付業務と業務の比重も多くなりました。しかし、このような仕事が嫌だという感情はなく、生徒のために必要な業務という認識でもありました。今思い返せば、1年目の自分だったら、そのような感情にはならなかった可能性は高く、自分の教育に対する考え方にも大きな影響を与えたのではないかと思っています。このようにチーフになることで、自分の視野が広がったことも実感しました。今までは、授業で担当していた生徒を見ればよいものが、校舎に通っている全生徒に注視する必要もあるし、授業担当外の生徒から質問されたりと仕事の範囲も広がり、大変にはなりましたが、やりがいを感じられた1年でもありました。その分、社員から期待されることも大きくなり、時には衝突することもありました。そんなときに、愚痴を聞いてくれたり、相談に応じてくれた仲間がいたからこそ、この1年間は乗り越えられたと考えると、一緒に働いてくれたバイト仲間には感謝しきれない思いもあります。
そして昨日の最後の授業は、担当授業は英語で、授業内容も扱いましたが、無意識的にこれからの勉強方法や進路の話が中心になってしまいました。大学受験が終わったら、大学生になって、大学を卒業して、就職をする。当たり前だけど、このことを考えると、受験指導をすることはもちろん、自分がどんな仕事をしたいのかや将来どのようになりたいのかを自己分析することが大切になりきます。だからこそ、最後の授業では、授業内容もいつもと少し違った形式になってしまったように思います。授業後に、後輩に聞いてみると「人生の授業」になっていると言われました。考えてみると、勉強を教えることは別の担当者になっても出来るけど、雑談で話した内容だったり、勉強方法や進路は生徒の人生に大きな影響を与えるのかもしれません。さらに、受験という側面で考えれば、1教科が出来て合格するのは難しく、受験教科全体の成績を見ていくことが必要になります。このように考えると、進路指導や学習相談の重要性はあり、勉強が出来ても戦略が上手くいかなければ、受験は突破出来ないのではないかと思います。だからこそ、4月から入社する会社では、授業はしないけど、責任をもって仕事をしていきたいと感じました。
4年間で1回でも教えた生徒数を数えれば、おそらく200人ぐらいにはなるでしょう。ひとり1人の生徒から、自分はさまざまなことを学び、成長をしてきました。このことを忘れずに、次年度以降もさらに飛躍をしていきたいと考えています。最後になりましたが、ここまで支えてくれた仲間や生徒に感謝をしています。